2008年12月31日水曜日

パゾリーニ カザルサ詩集

      Poesie a Casarsa di Pier Paolo Pasolini

        l'edizione giapponese
         curata e tradotta
          da
         Hideo Hanano
          1998




カザルサ詩集
ピエール・パーオロ・パゾリーニ
花野秀男訳


目次
 Ⅰ カザルサ詩集       
献詩  11           
死んだ少年  12        
国境にふる雨  12      
欺された女  13       
ああ、ぼく、少年よ!  13   
マンズーの《ダヴィデ》に寄せて  14
美少年の連祷  14       
弟に  15          
ディーリオ  17       
逃亡  17          
ある帰郷に寄せて  19     
アルタイル  20       
鐘の歌  21         
 Ⅱ オリーヴの日曜日  22 
 原註  28        










     Ⅰ

  カザルサ詩集






献詩


ぼくの故郷の水の泉。

ぼくの故郷の水よりも冷たい水はない。

いなかの愛の泉。





   死んだ少年




夕べの光きらめき、堀に
水はみなぎり、孕み女が
野辺を歩みゆく。

ナルキッソス、あたしはおまえを覚えていてよ。
弔いの鐘が鳴ったときに、おまえの肌は
茜色に染まっていた。




国境にふる雨


幼い少年よ、空がふる
おまえの故郷の竈のうえに、
薔薇と蜜のおまえの顔のなかに
すっかり緑に覆われてそのひと月が生まれる。

太陽が─最後の日に─
桑畑のうえの不吉な翳を
燃やし烟らす。国境で
たった独りおまえは死者たちを弔ってうたう。

幼い少年よ、空が笑う
おまえの故郷のバルコニーのうえで、
血と憎しみのおまえの顔のなかで
すっかり蒼ざめたそのひと月が死ぬ。




     欺された女



鐘の音が桑畑ごとに震えてゆく。
いつまでも鳴りやまない。女たちはしゃべる。
死者たちの陰のなかで、ただ独り口を噤む
息子に欺された女が。





ああ、ぼく、少年よ!


ああ、ぼく、少年よ、雨が
土塊につかせる
溜め息の匂いから、思い出が
生まれる。青々とした草地と用水の
思い出が生まれる。

チャサールセの井戸の底で
─露の牧場にも似て─
遥か昔の時に戦く。
あちらでは、遠い昔の幼い少年の罪人の
ぼくが憐れみで暮らしている、

慰められぬ笑いのなかで。
ああ、ぼく、少年よ、晴れた
夕べに影が赴く、
昔の城壁のうえに。空には
眩いばかりの光線。




  マンズーの《ダヴィデ》像に寄せて


若者よ、疲れから、きみの故郷は蒼ざめる、
きみはしっかり首を捩って、
唆されたおのれの肉のなかで耐えている。

きみは、ダヴィデだ、四月の日の牡牛みたいに、
笑いかける幼い少年にその首を抱えられて、
優しく死へと歩みゆくというのに。









  美少年の連祷




      Ⅰ

あの蝉が冬を呼ぶ、
──蝉たちが歌っているときには
全世界は不動で明るいのに。

あちらでは空はすっかり晴れわたっている!
──きみがこちらに来たら、なにが見える?
雨、稲光、地獄の悲歎。


   Ⅱ

ぼくは美少年だ、
一日じゅう泣いている、
ぼくのイエスよ、お願いだから、
ぼくを死なせないで。

イエスよ、イエスよ、イエスよ。

ぼくは美少年だ、
一日じゅう笑っている、
ぼくのイエスよ、お願いだから、
ああ、ぼくを死なせて。

イエスよ、イエスよ、イエスよ。


    Ⅲ

今日は日曜日、
あすは死ぬ、
今日こそぼくは
絹と愛の服を着る。

今日は日曜日、
牧場じゅうを冷たい足して
少年少女がとび跳ねる
靴はいてかろやかに。


ぼくの鏡に歌いかけては、
歌いながら髪を梳く……
ぼくの眸のなかで
罪人の悪魔が笑う。

ぼくの鐘たちよ、鳴りひびけ、
やつを追いはらっておくれ、
《鳴りましょ、けどなに見てるのよ、
うたいながら、あんたの牧場で?》。

ぼくは見つめる
夏たちの死の太陽を。
ぼくは見つめる雨を、
葉っぱを、蟋蟀たちを。

ぼくは見つめる
ぼくが子供だったころのぼくの身体を、
悲しい日曜日を
──みな永遠に過ぎさった。


《今日はあんたに
絹と愛の服を着せる、
今日は日曜日
あすは死ぬ》。





    弟に



弟よ、おまえが正しかったよ。あの晩──ぼくは思い出す──おまえは言ったんだ、
《兄さんの手のひらには愛と死の徴があるね》、と。
あんなにも、おまえは笑っていたけど、以来ぼくはずっと確信していた。いまはただギターの奏でる調べにまかせてこの日を過ごしておくれ。






   ディーリオ



ディーリよ、おまえは見る、アカシアの梢に
雨が降るのを。犬たちが吠え声を震わせる
青々とした平地に。

坊や、おまえは見る、ぼくらの身体のうえに
失われた時の
冷たい露を。









    逃亡



はや山腹はひらめく稲妻のまっただなかだ。全裸の平地に、つまり
真南にぼくはひとりぽっちだ。
はや山肌に雨がふっている。最後の晴れ間に、つまり宵に、ぼくはひとりぽっちだ。風にうちひしがれた牧場から、杜松の匂いが鼻を刺す。逃げよう、異界の時だ──マリーア!と、燕が叫ぶ。









ある帰郷に寄せて







娘さん、なにしてるの
火のそばでまっ蒼になって、
冬の日の沈むころ
かき消えてしまう木みたいに?
《あたしは古い枯れ柴を燃やす
すると、黒い煙がのぼって
わかるのよ、平野では
暮らしむきがらくだって》。
けれど、芳しいおまえの火を嗅ぐと
ぼくはおのれの声を失い、
いっそ風となって
落ちてそのまま動かずにいたくなる。


ごらん、清らかなあの道を
ぶどう畑と桑畑をぬっている、
夕べがもどってきた
きみの旅を優しくするように。


旅のとちゅうできみは出遇うだろう
ぼくの遠い故郷に。
挨拶してくれ、泣き声が絶えたなら
ぼくらはもうもどらないのだから。


ぼくの旅は終わった。
ポレンタの甘い香りと
牡牛たちの悲しげな鳴き声。
ぼくの旅は終わった。
《こっちへ、きみはぼくの家に泊まればいい、
でもぼくらの暮らしは ──
流れる水にも似て喰いつくしてしまう
きみの知らないなにもかもを》。


ぼくの村では正午に
祭りみたいに鐘をうち鳴らす。
静まり返った牧場のうえを
ぼくは鐘のもとへと赴く。


鐘よ、おまえは昔とちっとも変わらない
なのにぼくは苦しみを負って
おまえの声のもとへ帰ってきたよ。
《時は移ろわず、
父親たちの笑顔は
──枝々に雨がとまるように──
子供らの顔のなかに宿っている》。











  アルタイル




アルタイル、憐れみの星よ、
つらい思いに目が覚めるとき、
ぼくはきみを雲間にさがす。
だからきみ、ぼくを見まもっておくれ。

時は眠りではない、
回復するような。だから、目を覚ませ、
ぼくらに歓びに牧場をとび跳ねさせておくれ!
そうして、アルタイルよ、きみの光は

数えきれない星屑のきらめきに
輝く。それも、たったひと
季節だけではない。そこには戦いているのだから
ぼくの青春の時が。

アルタイル、天の愛しいトレモロよ、
ぼくがきみを雲間に探すと、
ヴェールが降りてくる。あそこに
ぼくを灼く古代の眼が

──いまでは──もう憐れみなしに。



〔*訳注。鷲座の首星、晩夏の中天やや南寄りに輝く牽牛星、彦星のこと。〕








   鐘の歌



夕闇がどの泉のうえにもおし寄せるとき
ぼくの故郷は狼えたいろにつつまれる。


ぼくは遠くにあって、思い出す、故郷の蛙たち、
月、蟋蟀たちの悲しいトリルのことを。


ロザーリの鐘が鳴り、牧場ごとにその音は衰えてゆく。
ぼくは鐘の歌に曳かれゆく死者だ。


よそ者よ、ぼくが平地のうえを優しく飛ぶからとて、
こわがるな。ぼくは愛の魂なのだから、
はるばる故郷へ帰りゆく霊なのだから。













   オリーヴの日曜日



   そして心が最後の鼓動によって
       影の壁を崩しおえたそのときに、
   主のもとへ、ぼくを連れゆくために、母さん、
      あなたは昔と同じように手をかしてくれることだろう。
                              ウンガレッティ




 母さん、ぼくは肝をつぶして見つめる
 風が、悲しそうに死んでゆくのを
 キリスト教徒として生きた
 ぼくの二十年間のかなたに。

 夕暮れ、濡れた木々、
 叫んでいる遠い少年少女、
 母さん、これが故郷だよ
 ぼくの通りすぎてきたばかりの。



 どうしてあたしのお腹からは
 生まれてこなかったのだろう
 あたしの祝福された息子を
 思い出してなげく涙が?

 涙よ、あたしはおまえの母となろう、
 すっぽり清らな衣裳をきせて、
 そして晩祷の失われた歌を
 おまえの父と呼ぼう。

 そしてなろうことならあたしは
 故郷よ、おまえの母ともなろう、
 すっかり昏い緑の牧場、
 竈、そして昔の城壁の。

 あたしの息子よ、おまえのもとへ
 おまえの母は往かれぬのかい、
 涙に射す光となって、
 故郷に轟く雷となって?



 (オリーヴをかざす少年の衣裳をまとって)
 復活祭正午の鐘が鳴りわたる。

  固い葉っぱに、白いパン。

  若い衆、オリーヴはいかが?

  復活祭のよく晴れた宵。

  涼しい用水に、とまった鳥。

  オリーブ、アウリーフ、アウリーフ。



 アウリーフの侍者さん、
 まるで緑の葉枝にひそむよう
 きみは嬉しそうに顔をかくして
 ひどく恥ずかしがっているけれど、
 走ってきてぼくに葉枝をおくれ!

 けれど、きみの母さんはきみを生き
 顔のなかにはその苦しみが、
 ──故郷は血の気を失い
 そしてきみ、きみはひどく震えている。



 (なおもオリーヴを翳す少年の衣裳を纏って)
 いいえ、にいさん、ぼくは震えていない。
 葉っぱのあまい歌声に
 ぼくといっしょに、じっと不動の空が
 ぼくたちの笑い声のうえに光り輝く。

  弱りはてて鳥が歌い、
  うろたえて煙が歌い、
  燈火のもと恍惚として歌う、
  昼はギターにあわせて。



 なんておしゃべりだ! 一本の葉枝、
 それだけを、きみに求めたのに。
 はっきりとぼくに聞こえる雷は
 あまく悲しくずうっと震えているのだから。



 (相変らずオリーヴを翳す少年の衣裳を纏って)
  にいさん、雷は震えない。
  ごくかすかに復活祭の鐘の音が
  堀のへりづたいに消えてゆく。

  ぼくたちにはキリストが
  つらい物事を限られた、
  だからぼくらの周りには歌ばかり。



  ぼくは知らないあのものを
  キリストが血に染めたというけれど。
  祈りをぼくは知らないのだから、
  まわりに歌など聞こえない。

  おのれの声のなかに失われ、
  おのれの声ばかりをぼくは聞き、
  おのれの声をぼくは歌う。



 (相変らずオリーヴを翳す少年の衣裳を纏って)
 そしてキリストにおける兄弟たち!


 
        空!



 (相変らずオリーヴを翳す少年の衣裳を纏って)
  雨!



    歳月!



 (相変らずオリーヴを翳す少年の衣裳を纏って)
      身体たち!



 あまい四月!



 (相変らずオリーヴを翳す少年の衣裳を纏って)
     女たち!



 ただぼくの声ばかり。



 (再び亡霊となって)
        ああ、キリスト。


 
 永遠は死にゆく
 昏い牧場に
 悲しい声を
 ぼくは吐く。

 その声は止まず
 喚く空にも、
 吹き荒れる風にも
 遠くへ往かない。

 くる夜もくる夜も
 声が死ぬのをぼくは聞く、
 昔の城壁に、
 昏い牧場に。



 息子よ、おまえの声だけでは足りない
 おまえが父親たちと並ぶには。

 あたしはおまえの母さんだよ、死んだけど、
 あたしはおまえの胸のなかに生きている。

 だから、あたしが言うとおり、
 息子よ、あたしの後からくり返すのだよ。


(唱える)と(くり返す)
 キリストよ、わたしはあなたが造られたままのわたしです。
 歌うも泣くもあなたにあっては同じひとつのこと。
 キリストよ、あなたの十字架にわたしを磔にしておくれ。
 わたしはあなたの癒しをえられないのだから。



 昏い火が降りそそぐ
 ぼくの胸のなかに。
 それは太陽ではなく
 そして光りではない。

 光明なしの日々が
 いつまでも通りすぎ、
 ぼくは生身の、
 少年の肉体のままだ。

 もしも昏い火が
 ぼくの胸のなかに降りつづくなら、
 キリストよ、あなたの名は、
 そして光りなしだ。









原註

 本詩集のフリウーリ語の慣用語法は純正のものではなくて、タッリアメーント川右岸で話されるヴェーネト方言に優しく漬かっている。そのうえ、韻律や詩的措辞に合わせるように、ぼくが腕力を揮ったものも、少なからずある。
 さらにフリウーリ人ではない読者にはある種の語、たとえば《imbarlumi`de》、《sgorla^》、《svampidi`t》、《tintinul^》、《rampi`t》、《mi`rie》、《alba`de》、《tre`mul》、などの語にはしばし、佇んでほしいものだ。なぜなら、そうした語は、ぼくはイタリア語のテキストで、実にさまざまに翻訳してはみたが、実際には、翻訳不能だからである。*




 訳註* それをじかに日本語に翻訳する際の難しさは当然か、あるいはそれ以上で、試みるだけでも無謀なことであったかも知れない――そんな無謀を敢えて試みるなんて、やはりパゾリーニが眼前に開示して見せたフリウーリ語詩の音感の素晴らしさに、一読、虜になってしまっていたのだろう。それぞれ「光きらめき」「震えてゆく」「かき消えてしまう」「トリル」「全裸の」「真南に」「晴れ間」などと、散々工夫はしてみたが結局、難のより少ない訳語に落ちつく傾向にある。結果、パゾリーニ自身による脚註のイタリア語訳、そちらからの日本語訳のほうに、むしろフリウーリ語詩の語感が投影されている場合もままある。詳しくは巻頭、筆者付記を参照されたい。



フリウーリ語詩からの〔パゾリーニ自身によるイタリア語訳詩の脚注〕

(11頁)献詩。――ぼくの故郷の水の泉。ぼくの故郷の水よりも新鮮な水はない。田舎の愛の泉。

(12頁)死んだ少年。――夕映えの余光煌めく暖かな宵、用水に水は漲り、臨月の女が野辺を歩みゆく。
わたしはあなたを思い出す、ナルキッソスよ、あなたは黄昏の色をしていた、弔いの鐘の鳴ったときに。

(12頁)国境にふる雨。――少年よ、きみの故郷のどの釜の上にも空が降りそそぎ、薔薇と蜜のきみの顔の中にすっかり緑に塗れてそのひと月が生まれる。
桑畑の上の不吉な翳を(最後の日に)太陽が燃やし烟らす。国境でたったひとりできみは死者たちの弔い歌を唱う。
少年よ、きみの故郷のどのバルコニーの上でも空が煌めき、血と憎しみのきみの顔のなかですっかり白茶けたそのひと月が死ぬ。

(13頁)欺された女。――鐘の音が桑畑ごとに震えてゆく。いつまでも鳴りやまない。女たちはしゃべる。
死者たちの闇のなかで、ただひとり口を噤む、息子に欺された女が。

(13頁)ああ、ぼく、少年よ。――ああ、ぼく、少年よ、雨が土から甦らせた匂いから、思い出が生まれる。用水路と青々した草地の思い出が生まれる。
 カサルサの井戸の底で─牧場の露にも似て─遥か昔の時に戦く。あちらでは、遠い昔の幼い少年の罪人であるぼくが、慰めようのない笑いのなかで、憐れみを食べて暮らしている。ああ、ぼく、少年よ、晴れた夕べに影が、昔の城壁の上に赴く。空には目を眩ませる光。

(14頁)マンズーの《ダヴィデ》像に寄せて。――友よ、疲労からきみの故郷は蒼ざめる。きみはしっかりと首を捩って、誘惑されたおのれの肉のなかで耐えている。
きみは、ダヴィデだ、四月の日の牡牛みたいに、その牡牛は、笑いかける幼い少年に首を抱えられて、優しく死へと歩みゆくというのに。

(14頁)美少年の連祷。―― Ⅰ. あの蝉が冬を呼ぶ、──蝉たちが歌っているときには全世界は不動で明るいのに。 あちらでは空はすっかり晴れ渡っている! ──きみがこちらに来たとて、何が見えよう? 雨、稲光、地獄の悲歎ばかり。
 Ⅱ. ぼくは美少年だ、一日じゅう泣いている、ぼくのイエスよ、お願いだから、ぼくを死なせないで。
 イエスよ、イエスよ、イエスよ。 ぼくは美少年だ、一日じゅう笑っている、ぼくのイエスよ、お願いだから、ああ、ぼくを死なせて。イエスよ、イエスよ、イエスよ。
Ⅲ. 今日は日曜日、あすは死ぬ、今日こそぼくは絹と愛の服を着る。 今日は日曜日、牧場じゅうを冷たい足をして少年少女が飛び跳ねる、子供靴を履いて軽やかに。
 ぼくの鏡に歌いかけては、歌いながら髪を梳く……ぼくの眸のなかで罪人の悪魔が笑う。ぼくの鐘よ、鳴り響け、奴を追い払っておくれ、「鳴りましょう、けれど何を見てるの、唱いながら、あなたの牧場で?」。
 ぼくは見つめる、夏たちの死の太陽を。ぼくは見つめる、雨を、葉っぱを、蟋蟀たちを。
 ぼくは見つめる、子供だった頃のぼくの身体を、悲しい日曜日を──何もかも永遠に過ぎ去ってしまった。
「今日はあなたに絹と愛の服を着せる、今日は日曜日あすは死ぬ」。

(15頁)弟に。――弟よ、おまえが正しかったよ。あの晩(ぼくは思い出す)おまえは言ったんだ、「兄さんの手のひらには愛と死の徴があるね」、と。あんなにも、おまえは笑っていたけど、ぼくは以来ずっと確信してきた。いまはただギターの弾く調べに任せてこの日を過ごしておくれ。

(17頁)ディーリオ。――ディーリオよ、おまえは見る、アカシアに雨が降るのを。青々とした平地で犬たちが吠え声を嗄らす。
少年よ、おまえは見る、ぼくらの身体の上に、失われた時の冷たい露を

(17頁)逃亡。――いまでは山腹は閃く稲妻の真只中だ。裸の平地に、つまり真南に、ぼくはひとりぽっちだ。
 いまでは山肌に雨が降っている。最後の晴れ間に、つまり宵に、ぼくはひとりぽっちだ。風に打ち拉がれた牧場から、杜松の匂いが鼻を刺す。往こう、逃げる潮時だ──マリーアさま!と、燕が叫ぶ。

(19頁)ある帰郷に寄せて。―― 娘さん、何してるの、火の傍で真っ蒼になって、冬の日の沈むころ掻き消えてしまう木みたいに? 「あたしは古い枯柴を燃やす、すると、黒々と煙が昇って、分かるのよ、平野では暮らし向きが楽だって」。けれど、芳しいおまえの火を嗅ぐと、ぼくはおのれの声を失い、いっそ風となって、地面に落ちてそのまま動かぬままになりたくなる。
 ごらん、葡萄畑と桑畑を縫う清らかなあの道を、きみの旅を優しくするように夕べが戻ってきたんだ。
 旅の途中でぼくの遠い故郷にきみは出遇うだろう、挨拶してくれ、泣き声が絶えたなら、ぼくらはもう戻らないのだから。
 ぼくの旅は終わった。ポレンタの甘い香りと、牡牛たちの悲しげな鳴き声。ぼくの旅は終わった。「こっちへ、きみはぼくの家に泊まればいい、
 でもぼくらの暮らしは──流れる水にも似て喰い尽くしてしまう、きみの知らない何もかもを」。
 ぼくの村では真昼にまるで祭りみたいに鐘を打ち鳴らす。静まり返った
牧場の上をぼくは鐘のもとへと赴く。
 鐘よ、おまえは昔とちっとも変わらない、なのにぼくは苦しみを負っておまえの声のもとへ帰ってきたよ。
「時は移ろわず、父親たちの笑顔は──枝々に雨が泊まるように──子供らの顔のなかに宿っている」。

(20頁)アルタイル。──アルタイル、憐れみの星よ、悲しい思いに目が覚めたとき、ぼくは
きみを雲間に探す──だからきみ、ぼくを見守っておくれ。
 時は回復する眠りではない。だから、目を覚ませ、歓びにぼくらに牧場を飛び跳ねさせておくれ! そうして、アルタイルよ、きみの光は
 数え切れない星屑の煌めきに輝く。それも、たった一季節だけではない。そこにはぼくの青春の時が戦いているのだから。
 アルタイル、天の愛しいトレモロよ、ぼくがきみを雲間に探すと、ヴェールが降りてくる。あそこに古代の眼がぼくを焼く、──いまでは──もう無慈悲に。

(21頁)鐘の歌。──夕べの帷が泉の上に落ちる時、ぼくの故郷は錯乱した色に包まれる。                         
 ぼくは遠くにあって、思い出す、故郷の蛙たち、月、蟋蟀たちの悲しいトリルのことを。
 ロザーリオの鐘が鳴り、その音は牧場ごとに弱まってゆく。ぼくは鐘の歌に惹かれてゆく死者だ。
 他所者よ、ぼくが平地の上を優しく飛ぶからとて、怖がるな。ぼくは愛の霊魂なのだから、遙々おのれの地へと帰ってゆく霊なのだから。

(22頁)オリーヴの日曜日。──子 母さん、ぼくは肝を潰して見つめる、風が、悲しそうに死んゆくのを、キリスト教徒として生きたぼくの二十年間の彼方に。
 夕暮れ、濡れた樹々、叫んでいる遠い少年少女、母さん、これがぼくが通り過ぎてきたばかりの故郷だよ。
母 どうしてあたしのお腹からは、生まれて来なかったのだろう、あたしの祝福された息子を思い出して嘆く涙が?
 涙よ、あたしはおまえの母となろう、すっぽり清らな衣裳を着せて、そして晩祷の失われた歌を、おまえの父と呼ぼう。
 そしてなろうことなら、故郷よ、あたしはおまえの母親ともなろう、すっかり昏い緑の牧場、竈、そして昔の城壁の。
 あたしの息子よ、おまえの許へおまえの母は往かれぬのかい、涙に射す光となって、故郷に轟く雷となって?
母(オリーヴを翳す少年の衣裳を纏って) 復活祭正午の鐘が鳴りわたる。固い葉っぱに、白いパン。
 若い衆、オリーヴはいかが? 復活祭の良く晴れた宵。涼しい用水に、止まった鳥。オリーヴ、オリーヴ、オリーヴ。
子  オリーヴの侍者さん、まるで緑の枝葉に潜むよう、きみは嬉しそうに顔を隠して、ひどく恥ずかしがっているけれど、走ってきてぼくに葉枝をおくれ!
 だけど、きみの母さんはきみを生き、顔のなかには、その苦しみが、──故郷は血の気を失い、そしてきみ……はひどく震えている。
母(なおもオリーヴを翳す少年の衣裳を纏って)いいえ、若い衆よ、ぼくは震えてなんかいない。ぼくと一緒の葉っぱの甘い歌声に、ぼくたちの笑い声の上にじっと不動の空が光り輝く。
 弱り果てて鳥が歌い、うろたえて煙が歌い、燈火のもと恍惚として歌う、昼はギターに合わせて。
子 なんてお喋りだ! 葉のついた一本の小枝、それだけを、きみに求めたのに。ぼくに聞こえる雷は、甘く悲しく震えどおしなのだから
母(相変わらずオリーヴを翳す少年の衣裳を纏って) 若い衆よ、雷は震えない。ごく微かに復活祭の鐘の音が、堀の縁伝いに消えてゆく。
 ぼくたちにはキリストが物事を限られた、だからぼくらのまわりには歌ばかり。
子 キリストが血に染めたあの物を、ぼくは知らない。祈りをぼくは知らないのだから、まわりに歌など聞こえない。
 おのれの声のなかに失われ、ぼくが聞くのは自分の声ばかり、ぼくはおのれの声を歌う。
母(相変わらず少年の衣裳云々)そしてキリストにおける兄弟たち!
子 空!
母(相変わらず少年の衣裳云々) 雨!
子  歳月!
母(相変わらず少年の衣裳云々) 身体たち!
子 甘い四月!
母(相変わらず少年の衣裳云々) 女たち!
子 ただぼくの声ばかり!
母(再び亡霊となって) ああ、キリスト。
子 永遠が死ぬ昏い牧場に、悲しい声をぼくは吐く。
その声は止まらず、喚く空にも、吹き荒れる風にも遠くへ往かない。
来る夜も来る夜も声が死ぬのをぼくは聞く、昔の城壁に、昏い牧場に。
母 息子よ、おまえの声だけではたりぬ、おまえが父親たちと並ぶには。
 あたしはおまえの母さんだよ、死んだけど、あたしはおまえの胸の中に生きている。
 だから、息子よ、あたしが言うとおり、あたしの後から繰り返すのだよ。
母と子 キリストよ、わたしはあなたが造られたままのわたしです。歌も悲歎もあなたにあっては同じひとつのこと。キリストよ、あなたの十字架にわたしを磔にしておくれ。わたしはあなたの癒しをえられないのだから。
子 昏い火が降りそそぐ、ぼくの胸のなかに。それは太陽ではなく、それは光ではない。
光明なしの日々がいつまでも通り過ぎ、ぼくは生身の、少年の肉体のままだ。
 もしも昏い火がぼくの胸のなかに降り注ぐままなら、キリストよ、あなたは呼ばれる、そして光なし、と。


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